多様性とは何か。

"Diversity and incusion" 就活時代に多くの企業がCSRの一部や、ビジョンとして掲げているを幾度も目にした。ヒト、モノ、カネ、そして情報の動きが地球規模で起こるようになり、生活やビジネスのさまざな側面に置いて「多様性」という状況が、生まれる時代になった。この多様性について、あまり真面目になり過ぎず、思うことを書いてみたい。

 

自分自身に問うてみたいのは

What diversity means to you?

という問いである。

 

これを聞かれると、は?となる人も少なくないかもしれん。自分のいる環境が客観的にみて多様性のある環境であれば、それをある種当たり前だと思い、埋もれる。その環境が多様性に欠けている場合は、むしろ多様性のことなど考え始めない。ということも往々にしてあるだろう。ただモアイは、人間社会に生きている時点で全員多様性の中にいると思っている。個々人全て異なる人間なのだから、インターナショナルである必要はないと思う。

 

僕にとってのダイバーシティとは、なんと言っても巨大なガンダム像である。あれ?これは違うダイバーシティか、失礼しました。

僕にとってのダイバーシティは人との距離感を学び、円滑なコミュニケーションを目指す訓練所である。どういうことか。つまり、異なるバックグラウンドによって形成された考え方や価値観を互いに理解しようと努めながら、相手の求めているものを適切に発信し、そして相手の言う事を素の自分で解釈する。

コミュニケーションとは面白くて、同じことを聞いても、人は違う捉え方をする。幼馴染でずっと一緒に育ってきた友達であっても、違う解釈をする。このコミュニケーションというのは、人間がそれまで見て、聞いて、触れて、経験してきたことなど全てを網羅して情報を仕入れ理解し、また同じ経路を辿って情報を発する。これを気づかないほどの速さで行なっているものだろう。

つまりバックグラウンドが異なり、これらの経験が異なると相手の情報を理解するのが困難になる場合があるし、逆に意外なところで繋がってむしろ異常に理解し合えたりする。これがコミュニケーションの面白いところであり、多様性の中で生きるということはこのコミュニケーションの面白さを知りつつも、それを自然と学び、訓練するような場所だと思っている。

 

例ををあげてみよう。

僕は現在イギリスにいるので、寮にはたくさんの外国人がいる中で日々過ごしているが、その中でもよくギリシャ人やレバノン人など中東、地中海エリアの人間たちと絡むことがよくあるが、彼らの話題切り替えのスピードが半端じゃない。ひどい時には話題が1往復で終わり、次の話題に移る。これは日本人やアジア圏だと少ない出来事だろうし、米国や欧州の人との会話でもあまりないと個人的に感じる。僕からしてみれば、どの話題も薄くなるので、なんだかぎこちないし、もう少し深く話そうぜ、と思う。しかし彼らにとってはそのテンポの良さこそがコミュニケーションの柱であって、自然と行なっているのである。ここでどちらかが良い、とかいう話では全く無く、この違いを互いに理解し合い、尊重し合い、コミュニケーションを取ることが大切である。むしろこっちが会話のテンポを早めてみたりすると、余計に相手は嬉しそうに話す。当然こちらが真剣に話すと、向こうも1つの話題に付いてきて、深まることもある。

 

冒頭にも書いたが、これは何も外国人との会話だけではないだろう。日本人同士でコミュニケーションを取っていても、自分とこいつ、全然思考の方法が違うな、意見合わないなと思うことも多々あると思う。そう感じているのは多様性があるからだ。肌の色が違うとか、違う言語を話すとか、LGBTだとか、そういったものが多様性の代名詞のようになっている昨今だが、僕は全ての人間は多様性の中で生きていると思うので、多様性そのもの自体に大きな凄みはないと考えている。凄みが出るのは、人それぞれが所属するコミュニティにおいて、相手との距離を見極め、適切にコミュニケーションを取ることが半ば意識的に出来ている時だと思う。無理をする必要はない、僕も親友と話している時に、多様性なんぞ考えずに、ゲラゲラ笑っているだけだ。しかし、これだけ自由に活動できる社会に生きる我々はいつ何時でも新しい環境に飛び込む事ができる。学生で言えばバイトがその典型だろう。ぜひ、くそ真面目な街道を歩んできた人生ならば、一度わいわいハッピなー居酒屋で働いてみてはどうだろう。チャラけた道を歩んできたならば、本屋のアルバイトをしてみたらどうだろう。居酒屋で働く中で、彼らの陽気さや明るさ、ノリの良さに気づくだろう。本屋で働く中で、どういった人がどういった本を求めて来ているのか、そして現代社会において著名な作家やインフルエンサーたちはどういった本を出しているのか、勉強になるだろう。これらもある種のダイバーシティを感じる瞬間だと思っている。どんな本が出ているかなんて、コミュニケーションじゃないではないか、と思った方もいるかもしれないが、本を並べている時にプロローグを少し読んでみる、そしてそれに付いて自分の意見をパッと一文でまとめてみる、これだけでその筆者との簡単なコミュニケーションを取れていると僕は考える。

 

とまあ、こんなところである。ぜひ多様性という言葉が頻繁に使われるようになった世の中だからこそ、自分にとっての多様性とは何だろうと一度考えてみると、面白い発見があるかもしれない。それではみなさん、良い多様性ライフを。

 

 

モアイ