不朽の名作「7つの習慣」を読んで

こんにちは。コロナウイルスが猛威を奮い、今や100か国以上で事例があり、全世界感染者は15万人に到達しそうである。ここロンドンでも、かなり緊張感が高まっており、大学も全ての講義や試験がオンラインに切り替わった。また1ヶ月前の日本のような状況になっていて、スーパーではティッシュやサニタイザー以外のも多くの食品や物資が不足している。一時帰国も検討していますが、とりあえずは状況を見ながら判断と言う形である。

 

さて今回の記事では、不朽の名作と言われ全世界で3000万部の売り上げを達成して歴史に残るベストセラー、スティーブン・コービン先生著の「7つの習慣」と言う本の感想を取り上げ、またそれに対する私の意見なども含めて述べていきたい。(これは果たして誰得なのか、、、てんてんてん)

 

概要については調べればでてくるので紹介せずにstraight to the pointでいきたい。また今回こんな偉そうな記事を書いているが、実は本編は読んでいない(笑)某元芸人さんのyoutube動画を参考にさせていただき大方の結論を理解したので、それを元にしたいと思う。英語の原本を2年くらい前に買って読んでいたのだが、お恥ずかしながら長すぎるのと英語ということもあって、読んでいるうちに一体なんの話をしているのか混乱してしまい読み辞めてしまったことがあった(笑)よって今回こうして動画で要点を理解し、大枠を捉えられて非常に良かった。

 

早速、7つの習慣は以下の通りである。

1.主体的であれ

2.終わりを思い描け

3.大切なことを優先しろ

4.Win-win で考えろ

5.とにかく聴いて相手を理解しろ

6.シナジーを作れ

7.刃を磨け

 

これらはモノによっては一見「当たり前やん」と思うものが含まれるが、考えてみれば一見当たり前やんと思えるようなことを語って3000万部売れていると言う事実は驚愕的であり、それにはその洞察の深さと、いわゆる「痛いところついてくる〜」と思わされる内容がある所以である。長いので全体として端的に、私の気になった所だけ少し深掘りしていく形にしたい。(恐らく、1,2,3,5あたり)

 

まず1番目の「主体的であれ」という内容は、言い換えると「全ては自分の責任であるという意識を持つこと」である。例えば誰かに何を言われて傷つくこともあるだろうが、それは極端に言えば「あなたが傷つくことを選んだ」ということだ。これを聞くと、そんなもの感情なのだから仕方ないだろう、と思うかもしれないがこれはあくまで一例である。責任とは、responsibility であり、反応はresponse である。つまり反応と責任は言語的にも近い存在である、ということらしい。

またもう一つの重要な点として「関心と影響のサークル」がある。これは2重の円を想像してもらい、外側に関心、内側に小さい影響の円が存在している状態を示し、これがある種人間の特性を表している、と言う。コヴィー先生の主張は「人間は影響を与えられないのに、関心があるだけの領域に時間を使いすぎている」らしい。つまり余計な他人の心配、テストの結果に不安になること、などは良い例であり、こうしたことに時間を使いすぎるな、というのが彼の主張だ。

往往にして私モアイ個人としては、この主体性をある程度確立できていると思っている。私はこの話を聴いて自分の生活を思い返して見た。その時に、自分のコントロール出来ないことに注意を削がれているという時間はかなり少ないし、「全ては自分の責任である」という意識も持てている。これは大学院にきて、多様性の中で生きる術として必要なものだからではないかと考えている。つまり日本人はhomogeneousで出る杭は打たれると言う言葉があるように比較的同調文化の強い国であるが、海外では、特に大学という国際色豊かな状況ではそれではいけないし、ストレスもたまる。その過程で理不尽なこともあれば、全く理解できないこともある。僕は、それらは全て「自分の期待値と現実の差」でしかないと考えている。本当に全てこれである。人間がネガティブな気持ちになる根本の原因はほぼこれだ。人間関係もそうだが、それ以外でもそうだ。テストの成績でがっかりする、友達と意見が食い違って喧嘩、全ての現象に対して人間は本能的に何らかの期待を抱くので、それによってギャップが生まれネガティブになる。そう考えていた私にとって「全て自分の責任だと思え」と言うのは非常に納得のいく内容であった。あなたも一度見直してみてはいかがだろうか。

そしてこの「全て自分の責任である」と言うスタンスは過度になると、逆にストレスで潰れる可能性もあるのでそこは気をつける必要があるが、私的には非常に楽である。なぜならこう思うことで全てのネガティブな思いが一瞬で解決できるからだ。例えばどんなに嫌なことがあっても「でもこれって、俺がこうやって期待してたからだよな。」と思えば恨みなんて生まれないし、次はどうしようか、と解決策の検討に繋がる思考ができる。チームメンバーといざこざがあった、成績が良くなかった、上司に理不尽な対応をされた、こうした問題について人間は感情的になりやすく、そして感情的に興奮した後には理性的に分析する余力が残っていないことが多く、解決策まで至らない。そしてまた同じことが起きても感情ベースの反応をしてしまいまた解決に至らない。しかし、このファーストフェーズである感情の揺れに対して「俺、私がこう思っていたから、予想していたから起こったのだ」と割り切れれば、それではなぜ自分はそう思っていたのか、という本質的に大切な解決フェーズに思考を持っていくことができる。(1番だけでこんなに書く予定ではなかったが、一人歩きしてしまった笑)

 

2番目は「終わりを思い描け」と言うもので、これは非常に面白い。彼が言うには、「自分の葬式のメッセージで何を読まれたら嬉しいか」が指標である。つまり自分が死ぬ時に、こんな弔辞を読んでもらえたら嬉しい、と言う思える、それがその人の本当の成功だという。我々はこれを最低数ヶ月は練りに練って考える必要あると語っている。これは私は非常に心に刺さったし、なるほどと思えた。いわゆる就活などで「自分のやりたいことがわからないなら、どんな自分になりたいかと考えろ」」と言われることがあるが、それに近いだろう。私は現在これを本気で考えている最中なので、現時点ではまだわからないが、とにかく息子や娘に父が父でよかったと思ってもらいたいし、モアイのおかげで救われたと言ってくれる人が一人でもいれば良いな、と漠然と思っている。みなさんは自身の葬式でどんな弔辞を読んで欲しいだろうか。

 

3番目は「大切なことを優先しろ」である。これはアイゼンハウワーマトリックス?の「重要度と緊急度」4象限で考えろと言うもので、多くの人は「緊急かつ重要である」ことに心を吸い取られそこで溜まったストレルを、たまに「緊急でもないし、重要でもない」ことに手を出し発散するらしい。これは私にも当てはまる気がした。現代人は総じて余裕がなく、いつもあくせくしている人が多いことに加えて、同時にテクノロジーの進化で生活はどんどん便利になり娯楽も増えている現状では、ある意味当たり前かもしれない。しかし大切なのは「緊急ではないが、重要である」のセクションに注力することだとコヴィ先生はのべる。目の前のことだけで手いっぱいになり、たまにだらける、こうした生き方では自己実現には繋がりにくいと言う。確かにこうかくと如何にもロボットのように無言で働き、たまに充電してゆったりしてと言う動きの繰り替えしに見える。おそらく私の解釈では彼は1点集中だけでは危険である、と言うことを言いたいのだろう。つまり勉強であれば勉強を必死に、仕事であれば仕事を必死に、もちろんこうしたことは大切だが、それに必死になるあまり、「緊急ではないが、重要であること」例えば今後の人生について考える時間、過去1年の自分を見直す時間、友人や恋人との関係を考える時間、今の社会や世界について深く分析してみる時間、本を読む時間などを後回しにしているような気がしてならない。確かにこれは世の常であり、これは本質的に人間の本能に基づいていると思う。つまり動物と同じでライオンがくれば逃げるが、そうでなければとりあえずご飯を食べてのんびりするのだ。そして原始人も、食料がなくなれば狩に行き、それ以外は狩の準備をしたり、ゆったり過ごすのだ。それと同じで、仕事に終われ、勉学に終われ、人間は動き出し、ひとまず落ち着くとのんびりしてまた仕事や勉強に終われ始める。しかし我々現代人は動物や原始人と違って未だかつてないほどに変化の早い時代に行きており、生き方も歴史上最も多様化しているのだ。そんな社会において、ライオンから逃げたり、はたまた狩に行ったりするだけでいいのだろうか。変化が絶え間なく起き、いつ社会が変わるかもしれない現代においては狩や天敵から逃げるということに加えて、どう生きていくのかという一歩進んだ思考に踏み切らなければならないだろう。もちろんこれはコヴィー先生の主張を元に全て私個人で考えているものなので全ての人に当てはまるものではない。しかし、今一度我々は日々忙殺される中でもこの「緊急ではないが、重要である」という所に足を踏み入れる時間を作りたいものだ。

 

そして4を飛ばして最後は5番。「とにかく聴いて、相手を理解しろ」である。これは先生自身も非常に難しいとしている部分でもあるがゆえに、かなり達成が難しいところだ。噛み砕くと、「探る、解釈する、評価する、助言する」と断ち切れ、と言うなんともびっくり仰天な主著である。なぜなら、ほとんどの人々はこれら全てをなんらかの形でやってきたことがあるはずだからだ。つまり全人類に対しての忠告になる笑 それを踏まえた上で結論は「共感し、相手の気持ちを全力で理解して、それを言葉で示せ」と言うのが彼の主張である。どういうことか。

前半の4つの禁止事項については例えば親子同士や友人との会話、学生と先生、上司と部下、どの関係でも当てはまるだろう。「最近学校はどうなんだ?」と言う親の探り、「お前の言いたいことって要はこうだろ」と言う勝手な解釈、「あなたの悪い所はここですよ」と言う先生の評価、などなど。もちろんこれらを徹底的に廃城するこは人間社会においてほぼ不可能に近いだろうが、コヴィー先生的にはこれらをするときは慎重になるべきだという。また彼は「人々はおうおうにして解釈や反応が早すぎる」と言う。つまり「最近勉強だるい。」「もう会社辞めたい」と言う一言を聴いて、「なんでだよ勉強楽しいだろう」とか「わかるよ〜仕事俺もつまらんわ、辞めたい、だってさ〜」と言う風にすぐイエスノーを伝えたり、自分の話をしたりする。これはわざとではなく、おそらく多くの人が無意識的にやっていて特に親しい間柄だとお互いのことをわかっていると思って話のテンポがこうして早くなると言う場合もあるかもしれない。しかしそうではなく、「なぜこの人はこう思っているのか。」をまずは考えて、それに見合って共感しながら言語化して返答していくことが重要であるそうだ。「学校がつまんない」と子供が言ったら、「学校に対してネガティブなイメージがあるんだね」と、「仕事がきつい」と友達が言えば、「何か自分の思い通りにいかないことや、理不尽なことがあったようだね」と。しかしこれらはあくまで言い換えでなく、察しも含まれていることから謝って受け取って返答してしまうこともあるらしいが、それはコミュニケーションのなかでよく起こることなので特に不安になる必要はないらしい。

思えば私はこの4つを頻繁に行なっているかも、とゾッとした笑

どうしても自分のなかで、この人のためになんとか役に立ちたい、とか思ってついつい深読みした解釈をしたり、すぐ自分の経験に重ね合わせて語り出したり、ひどいときは同世代のくせに偉そうにアドバイスまであげたりする。もちろん場合によってそれも肯定できるかもしれないが、円滑なコミュニケーションとは「相手が求めているものを与える」と言うのが基本である。アドバイスを求められていないのに、自分の主張一人歩きで最終的に助言をしても、相手の心には響かないだろう。そうした意味で、まずは全力「この人を理解しよう!」と思い共感しながら、コミュニケーションを取っていくことを意識して見たい。

 

とまあ、かなり長くなってしまい、駄文であるが、今回はコヴィー先生の「7つの習慣」を少し紹介させていただき、私なりの意見や解釈(⇦あー!解釈してやがる!)を紹介させて頂いた。ぜひみなさんも一度本書を手にとって自分の価値観や性格に当てはめながら読んでいただければ何か貴重な発見があるのではないかと思う。

 

それでは、また。

 

モアイ