日本の教育制度について思うこと

今回は社会課題と言うと少しお固いかもしれないが、イースター島出身のモアイが思う現代日本の教育制度にういて感じることをつらつらと書いてみたい。特に教育に興味があるわけではないが、これまで真っ当な教育を受けさせて頂いた身として、感じることはいくらかあるし、世界の国々を見ていてもやはり教育が社会や人々にもたらす影響というのに並大抵ではないと思っているので自分なりの主張を展開してみたい笑

 

教育制度というとかなり広義だと思うが、フレームで特定はせず、教育制度の要所

要所について思うことを書いてみたい。

ポイントとしては以下。

1. 全員に同じことをやらせる傾向がある。

2. 数を増やして質を下げている。

 

1つ目については英語教育とプログラミング教育が最近話題であり、もっとも良い例だろう。英語教育だと大学入試に民間試験の導入が叫ばれ、色々と課題点が見つかったので延期になったりを繰り返しているが無駄な時間だなと感じてしまう。この導入についての事細かに詳細な情報を仕入れている訳ではないので、あくまで僕の知っている範囲内で言う。民間試験の導入について課題となったのが格差である。地理的格差と、経済的格差のようだ。試験を行う会場が地方にはない為、都市圏に住む学生が有利になるのではないか、また経済的に恵まれない家庭に住んでいる学生たちにとって受験料が障壁になるのではないか、と言った議論だ。事実としてはあるが、そんなに難しい問題なのか。そもそも会場が少ない、と言う議論はテストが会場で行われなれければいけないと言う前提認識があるから起こっているのであって、英検はオンラインで受験ができるし、他にもオンラインで受験できる試験はたくさん存在する。それらを軸にして仕組みを作ればいいのではないか。そもそも「受験の選択肢が狭まる」と言うが、英検、GTEC、TOEICなどを高校生が受けて、試験の種類によってそんなに得点が変わるのか疑問だ。英語の試験を受けていることに変わりはないのだし、しっかり勉強していればどれを受けても良い点は取れる。ならば「選択肢を増やして公平にするべきだ」なんて的外れな議論をしてないてどうすれば「英語教育の質そのもの」を向上できるのかを今すぐ議論して、制度を作るべきだと思う。

経済格差に関しては、所得に応じて補助金制度を作るのなんてそう難しいことではないと思うし、英語を本気で学びたい学生にはそれなりの援助をするべきだ。財源がないなどと言っているが、日曜にやっている衆議院委員会など、とてつもない金額で開催しているのにしょうもない議論ばかりしていると思う。金の使い方をそもそも見直した方が良い。

ただ僕独自の意見としては、民間試験導入を政府主導で行なっていること自体少し理解が出来ないし反対である。1つ目の主張である全員に同じことをやらせようとするのが、日本の教育の悪しき習慣だと思う。プログラミングにしてもそうだ。英語やプログラミングなんてやりたくない学生も多くいるだろう。クリエイティブな職について絵を描きたいと思って熱心に絵を書いている学生に、プログラミングや英語教育を押し付けてどうする。本人がやりたくないのやらせても伸びる訳ない。莫大な金を投じて制度だけ作っても効果は小さい。学びたい人が学べる環境を作る、のが教育の本当の目的だと思うが、時代はグローバルだから、ITスキルがないと、と言ったトレンドに乗っかってやりやすい制度を作って、教育の本質を見落としている気がする。例えば大学時代に、ある教授が「今後は小学校でプログラミング教育が実施される。君たちの下の世代はみんなプログラミングが出来るように育つんですよ。君らも負けてられませんね。」みたいなことを言っていたが、意味がわからない。じゃあ、僕らより上の世代の彼らは中学高校で英語をみっちり学ぶ僕たちをみて、「やばい、みんな英語話せるようになって育つ」と思っていただろうか。と言うか、僕ら6年間英語学んで話せるようになったのか。ほとんどの人はなっていないだろう。それは英語教育の質にも問題あるが、それ以上に本人たちが「やりたくない」を思ってやっていて、かつ大学に入れば学びを終えてもいいからだ。言語なんて使わなければ忘れるのだ。僕は英語が好きで、大学に入ってからも単語帳がボロボロになるまで学んでいたが、友達では「やっと英語から解放された」なんて言っている人もいた。ここが教育の問題である。時間を金を無駄にして学生たちのやりたくないことをやらせるのだ。誰が得をしているのか。プログラミングだってそうだ、小学校で学んでもその後学び続けて実践で使わなければ、真のIT人材として活躍することは出来ないだろう。同じ結果になることが目に見える。期間と分量を調整したお試し期間を設けて、プログラミングにハマった学生には授業を続ければいいし、「ヤダヤダ」言っている学生に教える必要はない。

僕だってプログラミングの必要性を感じていくつかの言語に手を出したが、これがとてつもなくつまらない。なのでやめた。意志が弱い、とか批判されるかもしれないが3日とかでやめた訳ではなく、オンラインで有料プログラムを数ヶ月やった末の決断だ。つまらないことで、学びの効率は下がる。だったら楽しんで学べる人たちに学ばせた方がいいし、将来プログラミング力が必要になったら出来る人材を連れてくればいい。なので、小学校のプログラミング必修化なんて金を時間を無駄にして、小学生たちの若い活力を削いでしまうものになるのでは、と個人的には懸念している。

言いたいことが多すぎてあっちこっちに議論が飛び、申し訳ありません。

1つ目の結論としては「学びたい学生に学ばせろ」と言うことだ。みんなが出来たらより良いじゃないか、と言う人もいるかも知れんが、みんなが出来る必要がそもそもあるのか?みんなが出来たら彼らの価値はどこになるのか。もちろんこれを言って、具体的にどうすればいいのか、それは僕は教育の専門家ではないのでわからない。しかし1国民から見ていて、現在行われているこれらの改革には大きな疑問を抱いてしまう。日本の教育制度がより柔軟なものになり、真の意味でグローバル化に対応した国になれることを願いたい。

 

2つ目の点として、数を増やして質を下げている点だ。良い例だと大学や学部の作りすぎだろう。Fらん大学とか本当に必要なのか。冷静に考えてみたい。大学や学部を新しく作るなんでとんでもなく費用がかかるのに、費用対効果としてそこを出た学生たちは成長し、自分たちの目標に向かって羽ばたいているのだろうか。僕も正直大学時代はちゃらんぽらんに過ごしていた。もちろんそれは大学が悪いのではなくて僕の意識が低かっただけだが、そうした学生は少なからずいるはずだ。Fらん大学に限ったことではないが日本の大学は本当に質が低い。これはマレーシア留学時代に感じだことだ。大学2年生のころにマレーシアの大学に留学した時に現地の学生の勉強ぶりや、課題の多さに驚きかなり勉強した。この時にどれだけ自分がそれまで勉強していなかったか気づいたし、それ以上にこうして外の世界をみるチャンスがないと、多くの学生は自分の大学で「学んでいる気になって」終わってしまっているのではないかと思った。そう考えると、社会に出る前の「溜まり場」となっている可能性がある。にも関わらずその質の向上以前に、教育のチャンスを全員にと言って質の低い大学を作り、トレンドに合わせて学部をぼかぼか作り、適当に先生を引っ張ってきて、ランダムに教える。これもまた中途半端な人材を増やしているだけな気がする。課題解決の手段が間違っている。これもまた日本が「大学に行くのは当然だ。」なんて風潮があるから、学生は「大学に入ることを目的」にして結局競争で負けて志望度の低い大学に行って遊び散らかす人もいるだろう。大学に行かなくてもやりたいことで進めば良いのに、高校は合格実績をきにするのでとりあえす受験させて合格数を集めたい。ここら辺の認識を変えることが重要ではないかと思う。

 

疲れたのでもうやめる。笑 

まだ言いたいことはたくさんあるし、下書きとか作らず1発で書いているので、論理的になっていない部分も多いと思うが、ひとまずこれらの2つが日本の教育制度について(課題点として)ざっくり僕の感じていることだ。この教育制度を変えようと活動している人達を本気で応援したいし、僕は英語という武器があるから、少しでも英語を学びたいと思っている学生たちのためにユーチューブという無料のプラットフォームを使って英語の勉強法やレッスンを発信していきたいと思っている。日本の若者がより活躍できるようになるために、僕が出来ることはやっていきたい。頑張ろう、ニッポン。

 

みんな学生時代の一番の思い出って何かな?

 

 

 

モアイ