コロナウイルスから考える今の世界

随分期間が空いてしまったが、今回はこのブログを書いている(2020年3月現)この瞬間に世界各地で猛威を奮っているコロナウイルスの状況から見る、世界の実態について少し意見を述べてみたい。初めにことわっておくと、これはコロナの収束に向けて何らかの解決策を提示するとかではなく、この現象から見る私の考えを共有だけのブログだ。健康は全ての人類にとって重要な事項であり、こうした疫病の危機に陥った時こそ、騒いで焦るのみではなく、状況を客観視して本当の問題は何かを考えることが、この世界で生きていく上で非常に大切なサバイバルスキルになる。その思いで、モアイ個人の見解をシェアして(誰も見ないだろうが笑)、皆一人一人がそうして考えるようになること、それがこのブログの価値である。

 

コロナウイルスは中国の武漢省にある市場で売られている動物や魚などが発生元として2020年1月にこの3月上旬までにかけて85000人近くの人が感染し、2000人以上の人がすでに命を奪われたエピデミックである。発症元である中国、そして隣国の韓国と日本が最も危険な地帯になっている。(イタリアでも急速に広がっているが。)

 

この状況に置いて、まずは自分や家族や大切な人の安全を守ることは1番大切だが、頭の片隅で何が本当の問題か、課題かを考えたい。こうして世界中で危機が蔓延している時こそ、社会や人類の抱える現状や課題点が鮮明になるはずだ。

コロナウイルスは問題ではなく、現象である。誰かのミスで起こったわけではなく、自然界の連鎖から引き起こされた必然的事実である。そもそもコロナウイルス自体は100年前にその存在は確認されていて、動物など他の生き物の間にははびこっていた。それが何らかの生物学的要因で人間に転移してしまったのだ。この自然界の連鎖によって言わば必然的に起こった事象に対して、ここ2ヶ月の我々の行動はどうだったのか。

 

政府の対応が遅かった。これは私の知る限りでは中国でもそうだし、日本でもそうだろう。こんな事を言っても何も変わらないが、中国政府の対応が相当お粗末だったと感じる。国家首席が公の場で対応の遅さを謝罪する、という事がそもそも危機管理能力の低さを象徴している。しかも、エボラような開発国の政府機能や情報網が発達していない田舎で起きたならまだしも中国は情報網はガンガン走っているし、政府による情報統制と管理は群を抜いている。そんな状況において、疫病の発生に対して対応が遅れた事は痛い傷である。今は政府の対応を批判している暇など誰にも無いが、いずれコロナが収束すればこの政府の対応をぶり返してくる人たちも出てくるかもしれない。

日本についても同様である。横浜のクルーズ船の問題にしても、非常に難しい状況であったのは事実だが、何よりも最優先で対応するべきだったのは間違いない。研究的見解に常に目を光らせていれば、マスクが無くなることもより早期に予期して対応ができたはずだ。野党に至っては、昨年の「桜を見る会」という自民党の疑惑事件をダラダラと指摘し、「コロナウイルスのせいで、この問題を見逃してはいけない」などと言っていた。当然、見逃す事はよく無いが、国民の命と暮らしを守る責任を政治家が、何が起こるかわからない疫病発生そっちのけに与党の疑惑事件の追求を続けようとしている姿勢に1国民として残念だった。

 

しかし最も重要なのは政府の対応以上に、人々の情報収集能力と行動である。これはメディアのせいもあるが、「重要で正しい情報」を得ていない人が多いのが問題だ。3000人が感染し、うち25人が死亡。などという報道を見るとどうしても最初は怖くなる。しかしこうした上部の結果を知っても冷静な判断が出来なくなるだけだ。コロナの死亡率は2%でインフルの2倍しかないし、15年前に起こったSARSは10%もあった。また健康な人の症状は風邪とほぼ変わらない。こうした科学的見解をしっかり頭に入れる事は大切だ。ただ単に感染者数と死亡数を知っていても感情が先走って恐怖におののくだけである。楽観であれ、という事ではなく、informedされている状態が理性的判断のためには必要であるという事だ。

また手洗い、うがいをする。マスクをする。人混みを避ける。こうした事は最初から言われていて多くの人が実践してくれていたと思うが、人間は自分を中心に考える生き物であるため、それに必死になって物事の本質を見失うことがある。マスクを買いだめする人がいるというニュースを見たが、それを買いだめしている人はその典型だ。自分の身を守るために買いだめしたのだろうが、それによって自分の身を守れなくなる人が増えると結局感染の広がる確率は増加して、買いだめした人もより危険に晒されるのだ。自分の身を守る、というのは当然大切だが、周りで起こっている事に注意を向け、感染を止めるにはどうしたらいいのか、ということまで考える必要がある。

そして最近だとトイレットペーパーやティッシュなどがマスクの同じ原材料などでそれも供給不足になるというデマが(サプライチェーンは全く違うので嘘)、流れて多くの人が買い占めに行っているようだ。そもそもこんなデマを流す奴は、自分の言動でどれだけの人を危険に晒すのか、そして社会や経済に大きな歪みをもたらすのか全く考えていない。ひいてはこれに影響されて冷静な判断を出来なくなるというのも、この先進国に生きる21世紀の現代人として、どうなのかと思ってしまう。

 

こうした状況から言えることは、我々人類はこの自然界で生きている以上、何が起こるかわからない世界に住んでおり、またこれだけ繁栄したと思っていても一瞬で多くの人が命を落として世界経済が麻痺するような状況下に常に置かれているという事を認識し直すことが必要であるということだ。誰が悪い、という単純な話ではなく、「なぜこれが起こったのか。本当の問題は何か。自分の今すべきことは何か。」を頭の片隅で考えながら情報に触れ続ける事をやめないようにしていきたい。人類はこれまでの歴史のなかでとてつもない危機に何度も晒されてきた。その中で得た知恵を教訓をいつでも活かせるような準備と体制を整えておく。それは国家レベルでも個人レベルでもだ。きっとこのウイルスを経験した事で、より社会全体としての危機管理は芽生えるだろう。心理レベルで考えれば、感情の波に流される事は人間としてナチュラルだが、世界は発展しつつも一方でより脆弱になっていく側面もあるという事実を認識すれば理性的判断の重要性が増していく事は違いない。

 

最後に、この世界にとって脅威が一刻も早く消えるよう、そして多くの人が命を守り、また安心して暮らせる状態に戻る事を願っておきたい。がんばろう、ワールド。

 

モアイ